否定神学としてのNo.19 あるいは、伝統化するポストモダン

東浩紀が自らの立場を「ゆうゆ原理主義」と称しているが、それについて述べておきたい。
その前に、というかこれが本題に直結するのだが、私は「ゆうゆ原理主義」という言葉を使ったことはない。それは当然のことであって「ゆうゆ原理主義」というのは原理的にあり得ないからだ。なぜか?
その理由は、ゆうゆ自身が原理主義者であったからに他ならない。
原理主義?何に対して?言わずもがな松田聖子に対してである。
松田聖子に対する原理主義的な信仰こそがゆうゆ問題、そして今に繋がる日本の80年代問題の本質に他ならないのだが、これは実は特定の世代の問題ではなくある普遍性を持ったものである。以下にその詳細を説明しよう。
松田聖子が何者であるか?という問いについては当時から早い時期に答えは出ていた。それは一言でいえば「ブリッコ」ということになるのだが、これをたんに当時の流行語として片づけてはいけない。というのも「ブリッコ」とは自己意識の問題、すなわち他者に見られるということを過剰に意識する問題に他ならないのであるが、例えば「ネタ」というのが常に他者の視線を前提にしていることを考えれば十分に現代的な問題でもあるのだ。そしてここで重要になるのが「他者」という存在である。松田聖子を代表とする大抵の「ブリッコ」=自己意識過剰な者における他者とは実は自分自身のことであり、したがって他者の不在が糾弾されることになる。例えば、「聖子ちゃんカット」とは他者の視線の為ではなく自分がカワイイと思っているからそうしているだけではないのか?そのような「自分」が集まった共同体は何と閉鎖的なことか!というわけだ。
そこで次の段階に入ると、いきなり髪を短く刈り上げするアイドルというのが登場することになる。これは他者=自己の視線をシャットアウトし、自己が「刈り上げカッコイイ」という他者になることで松田聖子的「ブリッコ」を批判的に乗り越えようとしたものである。これが小泉今日子=KYON2なのだが、重要なのは本人よりもそれを支えたイデオローグ達が浅田彰ニューアカデミズムあるいはポストモダニズムの信奉者すなわち「新人類」だったという事実である(刈り上げ行為が重苦しい実存的決断によって行われたのではなく「軽やかに」実行されたというのがポイントである)。
しかしながら、このKYON2的戦略も長くは続かない。というのも髪を刈り上げにしたところで結局すぐに自己意識に回収されてしまい、次の更なる「過激」な他者性を志向しなければならなくなるからであって当然それは行き詰るしかないからだ。
そうなると次に要請されるのが「技術」である。ただしここでいう「技術」とは自己と他者の視線の差異を解消するための共通のコードとしての「技術」であり、これは新しさが志向される科学技術を意味する場合もあるが、一方で伝統的価値によって認められた身体的技術が求められることも多い(したがってこの段階でポストモダニズムからモダニズムへの回帰が読み取れる)。
この流れにしたがってKYON2の後継者として新人類達に指名されたのが機械のように正確な動きと歌を賞賛された岡田有希子であって、彼女の最後のシングルが松田聖子作詞、坂本龍一作曲である事実を踏まえれば、80年代的なものの存在は彼女で完結するはずであったのだが、岡田の突然の自殺によってこの方向性そのものが「時代との不一致」を強く印象付けられた。
このような経過を経て最後に残ったのは、各人の自己意識を形式化することでネタからベタへの転換(天然化)を計り、メタレベルにいるものがキャラクターとして操作することで過剰な自己意識がもたらす他者(個性)の排除を回避しつつ全体として一つの自己意識集団を形成するという戦略であり、言うまでもなくそれこそがおニャン子クラブ(メタレベルにいるものがとんねるず)に他ならないわけである。
この構造は極めて強固なものであり現在でも様々な領域で見られるのだが必ずしも完全なものではない。というのは決して形式化できない自己意識というものが存在するからであって、それが自己意識の過剰性に対する原理主義的な信仰に基づく自己意識である。ただの原理主義的な信仰に基づく自己意識なら容易に形式化できる。しかし、自己意識そのものを原理主義的に信仰している自己意識は決して形式化できない。なぜならばすでに原理主義において形式化されてしまっているからだ。
この自己意識の過剰性に対する原理主義的な信仰こそが、熱狂的聖子ファンを自称していたゆうゆの松田聖子への、つまりは自己意識の過剰性を体現する存在=「ブリッコ」への原理主義的信仰に他ならず、これによりおニャン子とんねるず的超越性とは異なる超越論性(実存としてのゆうゆと、構造としてのおニャン子アンチノミーの関係を結ぶような)をもたらしネタ/ベタ構造の論理的脱構築を可能としたのであって、おニャン子のシステムはつねに安定性を欠きつつも、まさにその不安定さよって安定を獲得したのである。
ところで、以上の自意識を巡る構造的変遷は決して昔の話ではない。今でも十分にアクチュアルな問題であって、例えば憂国呆談における浅田彰の金原と綿矢の両芥川賞受賞作家の評価にも当てはまるのだ。
この中で浅田は、綿矢りさを「ブリッコ」と切り捨てる一方、「ピアシングなんかをテーマにしてるわりに、良くも悪しくも素直に書けてて」と金原ひとみを持ち上げつつその「ナイーブ」さを嘆く(この嘆きの背景には文学的モダニズムの不在に対する強い不満があることを見逃してはならない)。このような現状認識を上記の80年代アイドルの変遷と対比させると、刈り上げがスプリットタンに変わっただけで20年前の松田聖子小泉今日子の対立の図式がかつての新人類達のイデオローグだった浅田彰自身によって見事に反復されていると言ってよいだろう。
20年の時を経て繰り返される80年代の自意識闘争/逃走。これはもはや『伝統化するポストモダン』と言うべきものではないだろうか。