松田聖子 『MUSIC FAIR21』
MUSIC FAIR21で松田聖子が自らのヒット曲をメドレーで歌っていた。
彼女の絶頂期がデビューの80年から最初の結婚の85年の6年間であることは誰もが認めるであろうが、80年代の前半にシングルを毎回1位に送り込む大ヒット歌手だった松田聖子の存在は日本のその後の全文化領域に極めて重要な意味を持つはずだ。それはJ-POP的90年代を用意したというよりも、70年代以前の歌謡曲を高度なレベルで完成させたことで、それが内包する文化を終わらせたということである(それが可能であったのは聖子本人だけではなく松本隆や細野晴臣らのはっぴいえんどのメンバー、松任谷由実(呉田軽穂)といった日本語のロック・ポップスを作り上げてきた作家陣の存在が大きいことは言うまでもない)。
したがって、聖子的アイドルは彼女の結婚と同時期に小泉今日子やおニャン子クラブ、つまりは秋元康的なものによって急速にパロディ化され解体されていく。これがJ-POP的90年代の前提になったと考えてよいだろう。
つまり、松田聖子とは一つの時代を完成させることによって終わらせるタイプの存在であるのだが、これと同様に90年代のJ-POP、すなわち「アーティストによる自己表現のポップス」をその完成によって終焉させたのが宇多田ヒカルである。ただし、宇多田の場合、完成させるだけではなく秋元康的な解体までも一人二役で行っていると考えられ、その意味で彼女の歌詞におけるJ-POPに対する批判的意図はよく読まれる必要がある。
そして松田聖子について、これだけは言っておきたいのだが彼女が本当に偉大であるのは、90年代以降かなり無謀な全米デビューに二度も挑戦し、90年と96年に世界発売のアルバムを出したというアーティストとしての活動があるからであって、完全に国内向けのアイドルであった彼女がこのような転向を果たしたという意味は大きい。
おそらく彼女は80年代後半の時代のフェーズが変わる中で、アイドルではなくアーティストとして認められたいという強い意志が芽生えたのではないだろうか。そして聖子とは全く状況が異なるが、尾崎豊という人も「若者の代弁者」的存在から一人のアーティストとして認められたいという気持ちが非常に強かったと思われる。なぜ私がそのように考えるのかと言えば、この二人は元々非常に高い音楽的才能を持っていたからである。歌が上手いというのはそういうことだ。にもかかわらず正当な音楽的評価よりもアイドルやロッカーとしての存在のみがクローズアップされたことが、尾崎の場合、不幸な結末を招いたのではないだろうか。ちなみにSEIKOが出した2枚目の世界発売アルバム『WAS IT THE FUTURE』は結構良くできている。
それにしても、デビューから24年経ったというのに当時の曲を当時のようなフリフリの衣装で歌える松田聖子というのは本当に凄い。生きる希望が沸いてくる。これがポップでなくて一体何がポップなのか?
松田聖子こそが本当の意味でのJapanese-POPに他ならない。