『崖の上のポニョ』

今日、池袋で『崖の上のポニョ』を見た。
面白かったけど、宮崎駿の最高傑作と言われるとどうかな。
やはり、最高は『千と千尋の神隠し』のじゃないだろうか?
ただ、意外だったのは手書きのアニメーションに原点回帰だとか言って、もっと落ち着いた作風になるのかと思いきや、いつものように一切の手加減なく映像も音楽もガンガンやりまくって、光と音の洪水を浴びせていたところだ。
宮崎は子供のために作品を作っているなどとよく言うが、あれは本当に子供のためなのだろうか?
もちろん大人には、あのアニメーションそのものの過剰さが面白いところなのだが、帰りのエレベーターでは5歳くらいの女の子が「うるさかった。早く帰りたかった」などと言っていた。
 
主題や構成も宮崎駿そのものだった。
通俗的には「自然に還ろう。母なる海、初源の海へ還ろう」などという印象が流通している宮崎だが、実際に作品を見ると全くの逆で、その種の自然回帰主義は宗教的狂信として描かれる一方、水道を捻れば水が出て、ガスコンロを捻れば火が付く近代文明が肯定的に描かれる。これは漫画版ナウシカから『もののけ姫』まで、自然を主題にした宮崎の一貫した姿勢だ。
また構成についても、中盤でガンガン盛り上げた後、「やり過ぎた、今は反省している」と言わんばかりに終盤、おとなしくなって妙な終わり方をするというのは、最近の宮崎作品の特徴である。作品全体がもたらすカタルシスを拒否しているのであろうか。
 
宮崎駿の凄いのは、一見時代性を拒否しているように見えても、実際には現在を描く映画を作ってしまうところだ。
もののけ姫』が1997年にしかありえない映画であったように、『崖の上のポニョ』もまたあらゆる意味で2008年の映画であって、これは作品が古典になる条件である。
そして、2008年の映画であるということは、これはまぎれもない萌えアニメだと言うことだ。
実際にああいう魚っぽい女の子を専門に描くアーティストがいて、俺は作品を持っているが彼は本物のそれもんだった。
宮崎も、「俺が本物の萌えというのをこの辺で教えてやろう」という意気込みがあったんじゃないかと思う。
 
崖の上のポニョ』がワーグナーの『指輪』を特に意識して作られたことは、制作ドキュメンタリーでワルキューレを聴きながらポニョの登場シーンを構想していたり、ブリュンヒルデというポニョの元の名前(フジモトブリュンヒルデって何なのか?)や、そのブリュンヒルデポニョが炎ならぬを水を乗り越えたジークフリート宗介との接吻で人間に目覚めるというラストまで『指輪』そのものなのだが、ちょっと気になったのは、井戸のある部屋の扉に印されていた1907の数字で、1907年と言えば、画家を目指していた18歳のヒトラーワーグナーに心酔していた頃であり、このときにのめり込んだセカイ系ワーグナー主義の実現が後にナチスを生んだ彼の内的動機であった。
 
そういうこととポニョが関係あるのかは分からないが、宮崎が単純にワーグナーの現代版をやろうとしているのではないことはあきらかで、ワーグナーに対する批判的な思いもあるのだろうと想像される。
また、この作品をつくるにあたって、「二度と吾朗みたいな子供をつくらないために」とかいう発言もあったようだが、宮崎"ジークフリート"吾朗には、ジークフリートとして、後の世に誰も振り返らない作品を今後もどんどん監督してもらいたい。そして、彼の嫁は要注意人物なのかもしれない。
 


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