『AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ 』

今日、銀行で待っているとき女性週刊誌というのを読んだが、その中に注目すべき記事が載っていた。
NHKの朝の連続テレビ小説『瞳』に出てくる、主人公の友達役の女優の父親がIT長者みたいな奴でその財力で娘を出演させているというのだ。
俺は以前から、ヒップホップスクールでダンサーを目指す主人公の友達が「初級ダイエットコース」に所属するヒップでもホップでもないどちらかといえば腐女子よりのキャラクターだったことに疑問を抱いていたのだが、そういうカラクリがあったわけだ。
女性週刊誌もときには有益な情報をもたらすものだと関心した次第だ。
 
その後、秋葉原にいき初音ミク人形というのを見て、あれば買ってもよいと思ったが凄い売れ行きらしくなかった。
しかし、初音ミクというのは造形的にそんなに素晴らしいものなのだろうか?
どうもいまひとつよく分からないのだが、エロ同人誌などを見るとその指向性が理解できなくもない。進化したレイプファンタジーというやつだろうか?
しかし、あの長い髪はいろいろするのに邪魔じゃないかという気もする。
 
そして先日ネットで話題となった、ゆっくりTシャツというのを買った。
俺はゆっくりの造形的素晴らしさなら理解できる。
ゆっくりというのは元は何かのゲームに出てくるらしいのだが、頭部しかないのは怨霊的なものであるからのようだ。平将門のようなものだろうか?
呪術的なものであるといってもいいだろう。それが、「ゆっくりしていってね」と言うわけだ。ポスト動物化の今後の社会を考えるキータームである「ゆるい宗教」のシンボルと言ってもいいだろう。
とにかく、あのAAの作者は一つのアートを生み出したのだ。

 
ところで先日、田中ロミオの『AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ 』を読んだ。
これは、宇野常寛が『涼宮ハルヒの憂鬱』に抱いていた妄想を完璧に実現したような小説だ。
したがって、ライトノベルの体裁をとってはいるが実際にはリアリズムに沿った作品だ。というか、もっと徹底的にリアリズムに徹した方がよかったかもしれない。ラストの「タガの外れた大騒ぎ」みたいなものはいらないだろう。
それで面白いかと言えば、「これは最後は宇野的になるの?それとも東浩紀的になるの?」という関心を除くと、よくはできているがあまり面白いものではない。『涼宮ハルヒの憂鬱』のSF的設定がリアリズムそのものを問うのに対し、『AURA』ではリアルに還ることが最終的に自明のこととされているからだ。
しかし、この小説には一点だけ見逃せない重要な点がある。
それは、「おまえはドイトを嘗めている」という主人公のメッセージだ。
物語のキーとなるアクセサリー職人の存在とともに、ドイト的なものに現代の迷宮を見いだすという思想は、ウィリアム・モリス的な工芸による生活と芸術の一致に、ただの妄想戦士とは別のやり方で現実を超えるものをつくるという具体的な現実への対抗である。
最後のセリフにある「”普通”のやり方」が、このアーツ・アンド・クラフツ運動的な方法であると読むとき、この小説はただの私小説的自意識を巡る物語とは別の次元に到達することになる。
 

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫 た 1-4)
田中 ロミオ
小学館
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