東京都現代美術館
東京都現代美術館に、「日本漫画映画の全貌」という日本のアニメーションを草創期から振り返った展覧会を見に行き、同時開催していたフランス周辺の印象派を適当に集めた展覧会、日本と世界の現代美術を適当に集めた常設展、「トーキョーワンダーウォール」という公募展もついでに見た。
「日本漫画映画の全貌」では政岡憲三の『すて猫トラちゃん』が見たかったのだが、最後の2分間程度を繰り返し流しているだけだった。別の日に正式な上映会を行っていたようだが、東京都現代美術館のサイトにはそういう細かい情報が出ていないので知らなかったのである。困ったことだ。
しかし、部分的であってもオペレッタ形式として作られている『すて猫トラちゃん』の躍動感はよく分かり、絵を動かす喜びや興奮が伝わってくる作品だった。このような政岡憲三の漫画映画は、戦後の日本の低予算で作られたアニメ(いわゆるリミテッドアニメ)とは明確に違う方向性であり、ディズニー的な指向を持って作られていたと考えてよいだろう。とはいえ、キャラクターの顔はいかにも日本的であり、そのギャップが非常に面白かった。
他にも年代順に日本のアニメが紹介されていたのだが、スタジオジブリの協力による戦後の作品の展示は当然ながら宮崎駿と彼が影響を受けたと思われる作品を中心としたセレクトで、「日本漫画映画の全貌」などとはとても言えるものではなく、夏休みの子供集めのための展覧会といったところだった。
フランス周辺の印象派を適当に集めた展覧会ではルノワールが6点ほどあった。1885年の作品『化粧する少女』は印象派独特のモワッとしたタッチの中に明確なラインが入っていてなかなか良いと思うのだが、1900年以降の3点はモワッとしているだけで全く面白みに欠ける。
一方で、10点ほどあったモネは『睡蓮』以降のモワッとした感じの方が、それ以前の作品よりも良いと思う。モネと言えば浮世絵の収集だが、その影響は形態やタッチよりも色の感覚にあるのではないか。特に『睡蓮』のエメラルドグリーンの色遣いは他の印象派の作家と比べてかなり特異なものであり、歌川広重の影響を感じさせた。
ゴッホも一点だけあったが(『斜面の木々』)、やはり見ていると異常な感じがする絵だ。
常設展の「日本の美術、世界の美術−この50年の歩み」というのは美術館が所有している作品を中心に並べているのだろうが、まとめてみるとそれなりに面白いものだ。開設当時、高額な購入代金で話題になったリキテンスタインの『ヘア・リボンの少女』は現物を初めて見たのだが、これはやはり独自の説得力を感じさせるものであった。近くにあった同じポップアート系のローゼンクイストよりは断然良い作品であって、リヒターの『エリザベート』よりも見ている者を揺さぶる力がある。リヒターは現物を見ると意外につまらない。
ちなみにウォーホルは一点もなかったのだが、70年代までの作品ならリキテンスタインよりはいいと思う。しかし、リキテンスタインの方が徹底していたことは確かだ。
日本の現代美術も結構展示されていたのだが、これは!と思うのは今井俊満と草間彌生ぐらいで、他のは当時はそれなりのインパクトを与えたとしても、今見るとどうも「カールスモーキー石井感覚(カル石感覚)」というか、いかにも現代美術という感が拭えない。その中で荒川修作と横尾忠則だけは、現代美術的なものに対する抵抗を対称的とも言える方法で提示していたと思うが、展示されていた作品について言えば、今では両者ともグラフィックの手法として吸収されてしまったのではないだろうか。
サム・フランシスの作品がいくつかあったが、最も日本的なものを感じさせるのが彼の絵だった。逆にそこから、この場では不当にも展示されていなかった岡崎乾二郎の絵にある日本的なものへの抵抗を想起させた。
公募展である「トーキョーワンダーウォール」は女性の作家の方が面白い作品が多いようだ。少なくとも入賞作についてはそういえる。絵的にどうだというよりもアイディアとして優れている。
一昔前のこの手の公募展では、前衛民芸私小説路線のようなカル石感覚で溢れかえっていたものだが、最近はそういうものも減ってきているようで良い傾向だと思う。