『文學界』 絶えざる移動としての批評

柄谷行人浅田彰岡崎乾二郎大澤真幸による柄谷の思想を中心としたシンポジウム。NAMの総括もやっているが、柄谷によると自分が海外にいることが多くメーリングリストに依存しすぎて会員同士が実際に会う機会が少なかったのが失敗の第一原因だという。その通りなのだろう。しかし、言うまでもなくML等のコンピュータ通信ネットワークが悪いわけではなく、柄谷がネットのもたらす環境の変化を考えられなかったのが原因である。
関心はあるが詳細のよく分からない組織に加入する場合、その組織の情報をできるだけ多く知りたいとは誰もが思うことであるが、かつては直接その組織を尋ねるか、手紙や電話、ファックスで問い合わせるしか方法がなかった。しかし、この場合いずれも組織を代表するような固定的な場所が必要となる。また、固定的な場所の確保は組織の信用にも繋がる。したがって、どうしても実際の不動産を借りるなどして場所を確保する必要があったのだが、今ではネット上にウェブサイトを立ち上げればその必要はなくなるのだ。つまりウェブサイトを組織のオープンな場所として機能させれば、必要な情報や信用を高めるような情報を提供でき、高い金を出して事務所を借りる必要はない。また、ネットを使えば緻密な連絡や外部への告知が可能になり、集会等もその都度場所を借りればいいだけの話である。公的機関でタダで借りるのが良いだろうがマクドナルドのような場所であっても構わない。椅子が堅くて長時間いられなというならば座布団を持ち込めばよい。BGMがうるさければ音量を下げるよう要求すればよい。それもまた一つの消費者の運動であって、環境型権力を論じるのはそれが変えられないことを確認するためではなく変えるためである。
しかしながらNAMでは各地に事務所を借りていたようで、できるだけ安く抑えたとしても毎月固定的に出ていく賃料の支払いが、年会費一万円という「一般の人」を集めるには高額な金額を要求してしまったのではないか?柄谷は失敗の第二原因としてNAMが「柄谷ファンクラブ」化してしまったことを嘆いていたが、年会費一万円という金額では最初から柄谷に強い関心のある人間しか入らないだろうし、金を払ったのだから言いたいことを言わせろという人が出てきたとしても不思議ではない。そもそも不動産というのは国家と資本の結びつきの結節点のようなもので、そのようなものに少しでも金を出すこと自体、NAMの運動を考えればバカげているのである。
いずれにせよNAMの失敗の原因はML依存それ自体ではなく、ネットは人と会わずに済ますための道具ではなく人に実際に会うための道具であって、ウェブサイトを組織の拠点として活用すれば不動産を所有したり借りたりしなくても人と会う機会を増やせると言う認識が欠けていたために、ネットの使い方を間違ったためであろう。だが、これはやむを得ないとも言える。いくら思想的に斬新なことを考えていたとしても、経験がなければ実際の行動において古い慣習に囚われてしまうものなのだ。